スカウティング誌393号(1986年4月号
「わが団を語る」より抜粋

−試練を重ねて−

松戸7団は、「松戸手をつなぐ親の会」を組織母体として
昭和54年6月、千葉県下で初めての障害児スカウト団として発団、今日に至っている。

我が団は、松戸はもちろん、近隣の鎌ヶ谷市、柏市、野田市および東京都からも
参加する障害児スカウトを中心に構成された地域団である。

またリーダーのほとんどが、障害児者を持っている親たちであることも特徴といえるであろう。

組織も規定に準じて構成しており、育成会員および、賛助会員は障害児スカウティング最大の理解者で
何かにつけて指導と援助をさしのべてくれ、貴重な存在であることはいうまでもない。

 また、発団前後から今日まで集会や訓練等に参加して筆舌に尽くし難い支援活動を続けてくれたのが
東京・千代田7団(明治大学)ローバースカウト諸君である。

黙々と、奉仕してくれる姿に深謝するとともに、同団を紹介ししてくれた
明治大学体育課長の西周安雄氏に心からの感謝を捧げてやみません。



−常に創造をモットーに−
これまで、さまざまな人と出会って教えられ、あるいは野外生活の体験を通して学びとったことを
大事にしながら「常に創造」をモットーに“ハンディキャップスカウトの明日のために”がんばろうと
心に決めて努力しているとはいうものの、まだまだ未熟な団である。


しかしながら、「やればできる。失敗したらもう一度やってみよう」という『チャレンジ精神』を軸にして

 1.障害者の発達段階に応じたカブ・ボーイ・シニア・ローバーの一環教育
 2.地区内外の健常児スカウトとの交流会と障害児スカウティングの積極的PR

上記を運営の鉄則として維持してきている。


 過去2度にわたる日本アグーナリーへの参加、見学隊を編成しての8NJ見学をはじめ
東京、静岡、埼玉、茨城および地元千葉の1都4県にまたがる合同キャンプをはじめとする
さまざまな形での「スカウト交流」

これに加えて今年度は松戸・鎌ヶ谷地区障害児スカウティング委員会が架け橋となって
地区内健常児団との交流が企画されており、新たな展開が予想される。


 また、これまでのスカウティングは何であったのか。と人に問われたなら
1つは社会の潜在的な偏見にたじろかず、乗り越えていくということ。
もう1つは地区の協力をとりつけることが必要で、そのためにはまず自団の指導者が地区へ参画し
ものいえぬスカウトたちに代わって「障害児スカウティングに何が一番大切か」と説得すること。

この2つであると答えたい。


 つまり、障害児スカウティングが『辺境』にあって、まだまだ深い霧の中にある。
という認識のもとに、リーダー相互のコミュニケーションを通じて体得してほしいものが1つだけある。

それは、人としての優しさに裏付けられた、『人権感覚』である。
「障害児も人間として最大限に尊重しなければならない」ということを脳裏に焼き付け
先に述べた人権感覚こそ障害児スカウティングにとって一番大切なものであって、
これがあればこそ障害児スカウトに対するさまざまな人間的配慮を指導・訓練の場で生かすことができる。

このことを心底からわかってほしいと、繰り返し叫びたい。



−教育への期待と信頼をこめて−

 むろん障害児スカウティングの展開にあたって
「障害児の育つすじみち」を考慮にいれていかなければならない。

また、親なき後の障害児(者)の将来を考えた場合、特に過保護状態を脱して社会自立をめざすとすれば
血縁で結ばれている親の立場ではなしえないことがある。

「人間として厳しく育てていける」第三者に教育を委ねた方がいいともいう。

 そのことも知っている。さらに健常児団に障害児スカウトが統合され
やがて障害児スカウト団が消える日がくるならば
「ともに生きる喜びを実感できる社会」到来の一端として歓迎したい。

 だが、これらが実現化されるまでは、きちんとした指導目標を設定し
障害者の育つ“みちすじ”をひとりひとり検証しながら、たわみなく、粘り強く、
しかも、しなやかで、したたかな障害児スカウティングの道を、仲間ととともに、歩き続けていきたい。


障害者こそ最大の教師であることを胸に刻みながら、教育の力への限りない期待と信頼を込めて・・・・・

千葉県連盟松戸7団団委員長 伊藤勇三



TOPへ